愛しのポマ

すごく長いです。

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2001年の9月、バイトが終わって駅に向かった。一緒のシフトだった人が「猫がいるー」といった。2人でちょっと猫を触って、猫におわかれをいって改札に向かった。白い猫は私を追い越して改札に向かう階段をおりて(地下改札なので)、改札口で私をみて大きな声で鳴いた。「にゃーおーーーーー」どこからどうみても、私の猫にしか見えない状況。駅員さんがこっちをみている。戻しに行くのもしのびなく、夫(当時は同棲していて彼氏だった)に連れて帰っていいか訊こうと思って電話をしたら話し中だった。しょうがない。何がしょうがないかわからないけど、とりあえず連れて帰ることにした。なんとかなるだろう。猫が入るような入れ物は、コンビニのビニール袋しかなかった。猫はコンビニ袋にいれられて、東京から多摩川をこえ、横浜にやってきた。電車のなかでも、すごく鳴いた。車内の人が「ねこがいる」と小声で話していた。その何倍も大きな声で猫は鳴いていた。家の最寄りの駅から夫に電話をしたら、驚いてはいたけどバッグとタオルを持って迎えにきてくれた。猫餌が売ってなかったのか経緯は忘れたけど、ゆでたささみを猫に食べさせた。たぶん生後半年くらいの、頭に黒い斑があるしっぽの先が曲がった白い猫は、ささみをたくさん食べて、ポマと名付けられて我が家の猫になった。

その一月後、バイト先の敷地をうろうろしていた子猫をまた拾ってきた。ダイナと名付けた。どろどろの汚い子猫は、すくすくと大きくなった。ポマはダイナを最初は気に入らなかったようだけど、よくかわいがってくれた。ポマの大きな声は地声のようだった。避妊手術をさせるために病院につれていったら「手術済みのようだ、卵巣がみつからない」といわれた。しかしその後、なぜか発情。ホルモン注射を打ってもらった。2004年の7月、バイト先にいた私に夫からメールがきた。「ポマの膣から膿がでていたので病院に連れて行ったら、手術しないといけないって」バイトを早退させてもらった。動物病院の院長先生には「この子はやせていて小さいから麻酔も心配だ」と言われた。ポマは大人になっても、2.5キロくらいにしかならなかった。あまりドライフードが好きじゃなくて、かにかまとイナバのciao缶詰と「焼きカツオ」が好きだった。膀胱炎にもなった。当時mixiで書いていた日記を見ると

かかりつけの獣医さん曰く、「この子は小さいから抵抗力もあまりないし、体があまり丈夫じゃないのは仕方ない部分もあるので・・・」だそうです。

と言われて、どうにかご飯を食べさせようと苦心していたことを思い出す。あまり病気をするので、家で「ポマがいなかったらいっぱい焼き肉食べられたねー」なんて話をしたこともあった。横浜そごうのペットショップでベンガルを見て「かわいいけどすごい高いねえ」と言った私に夫が「でも病院代考えるとポマより安いよ」なんていったこともあった。引っ越ししても、私が入院しても結婚して夫婦になっても、ポマが一緒にいた。(ダイナとソルトもいる、途中からソフィーとおにぎりもいる)

ポマはずっと食べ物にわがままだった。おっきいのに気が弱いソルトと違って、ポマは悠然としていてうちに人がきてもけろっとしてかわいがられていた。家出して、外に探しにいっても怖がったりもしないで淡々としていた。私がポマを怒っても「ふーん」って顔していた。

ポマは11才になった。毛はつやつやで、全然11才になんて見えなかった。私の実家の猫は19才とか20才とか21才まで生きたので、「11才なんて全然若い」って思っていた。2012年のクリスマスイブ。「クリスマスだからおやつあげよう」夫がそういって、みんなが大好きな鰹節を少しあげた。ポマは走ってきた。走ってきたけど、食べなかった。焼きカツオを出しても食べなかった。ポマをもちあげたら、ひどく軽く思えた。急いで病院に連れて行った。いつも猫バッグにいれようとすると、いやがったのに具合が悪そうで抵抗しなかった。病院で体重をはかったら2.1キロしかなかった。血液検査をしても、肝臓も腎臓も血糖値も異常がなく、少し目が赤いくらいだった。注射してもらって目薬をもらって、また明日つれていくことになった。3日連続で、病院に連れて行ったけどポマの様子はかわらなかった。飲み薬を1週間分くらいもらって、家で薬を飲ませた。ご飯をどうしても食べてくれないので、猫用の流動食を買って、シリンジでそれをあげていた。何でもいいからとりあえず食べさせたくて、ささみやカニカマやお刺身を買ってきてあげてみたら、ささみとカニカマを少し食べてくれた。お正月をすぎて、1月6日に病院に連れて行った。相変わらずご飯を食べないので、流動食をあげている、と先生にいった。ポマは1.6キロになっていた。背中をなでると、すぐ背骨があって前足が力をいれたらすぐに折れてしまいそうで怖かった。その日はそのまま入院させて、点滴してもらってまた検査をしてもらうことにした。夜お電話します、と先生に言われた。18時半頃に電話がきて『甲状腺機能亢進症』と言われた。甲状腺機能亢進症のことは知っていたし、高齢の猫に結構みられることもしっていたけど、ポマは全然食欲旺盛にもならなかったしすごく元気がでたりもしていなかったので、予想外だった。そのまま入院で治療してもらうことにした。翌日様子をみにいってポマをだっこしたら、私に抱かれたままポマがおしっこをした。そんなこと今まで一度もなかったのに。先生が、様子をきく電話は毎日でも大丈夫、といってくれたので毎日電話をして様子をきいた。「特に変わりなければ、こちらから連絡はしません」と言われていた。電話が来るのが怖かった。おうちに帰れます、って電話かもしれないけど具合が悪いって電話かもしれない。電話がくるのも来ないのも不安だった。1月13日、病院から「体温が下がってきている」という電話がきて、ポマに会いに行った。ポマは保育器の中で、保温されて細い足に点滴されていた。私がいったら、ポマは「クーンクーン」って何度も鳴いた。先生が「おかあさんがきたら、全然違うねえ! 元気だねえ」って言った。ポマのおかあさんは私より夫のほうだったりするけど、私にあって少し元気になったことが嬉しかった。ポマが大好きなクリスピーキスというおやつを袋から出したら、すごく食べたそうなそぶりを見せた。でも相変わらず食べてくれなかった。翌日、6年ぶりだかの大雪が降った。その日、夫もポマのお見舞いにいった。

1月16日、病院から電話がきて「また体温がさがってきている」。夫と2人で病院にいった。夫はポマが大好きなので、すごく心配だったと思う。でも私が夜中ずっと泣いていたりしたから、一生懸命元気づけてくれた。病院にいくと、ポマは点滴されながらおむつをつけていてぐったり横たわっていた。目をあけていたけど、眠っていると先生に言われた。地面がぐらぐらするように思えた。握りしめた手から砂がこぼれていく、そんな気がした。すごく泣いた。もうそのまま連れて帰りたい、と思った。夜まで点滴してもらって、夜は連れて帰って翌日また点滴しに連れてくる、ことにした。夜迎えにいって、ポマを居間のホットカーペットの上に寝かせた。保温しないといけないので、エアコンの設定温度も高くした。ポマはぐったりしていて、足取りもおぼつかなかったけどソファーの下に入り込もうとした。ポマが私から見えないところに行こうとすること自体がすごく怖かった。うろうろして体力を消耗するのも心配だった。幸いうちにはいろんなサイズのamazonの箱があるので、そのうちの一つにポマをいれた。箱越しではあまり暖かくならないので、電気あんかをしいてあげた。最初のうち、ひんやりするところに行こうとしていたけど、しばらく箱のなかでなでていたら眠ったようだった。目はあけたままだった。シリンジで流動食をあげようとしたけど、いやがってあげられなかった。夫と2人でポマが入った箱を挟んですわった。2時頃、よろよろしながらポマがおきあがって夫のほうをみながら「クーンクーンクーン」と鳴いた。そのとき、もうポマはだめなんだ、ってわかった。夫が嗚咽しながら「ポマ、もうがんばらなくてもいいよ、もしポマががんばるなら全力でサポートするけど、辛かったり苦しかったりするなら無理しないでいいから」と言った。朝、仮眠して起きたらポマは夫の胸の上で寝ていた。もし起きていたとしても、もう意識はほとんどなかったと思う。普段より少し速く浅く、でも規則正しく胸が上下していた。夫の胸の上で抱かれているポマは、子猫みたいに思えた。具合が悪くなってからポマはなんだか赤ちゃんみたいだった。シリンジで流動食をあげているとき、いつもポマが子猫のように思えた。夫にそう話したら「老人介護だろー」といって笑っていた。

朝、もう一度病院に連れて行くかどうか、すごく迷った。夫と泣きながら話して、結局連れて行くのをやめた。

そして、ポマは私と夫に見守られて2013年1月17日14時41分、虹の橋を渡った。「ポマ、いやだ待って、いかないでー」と言ってしまって、夫に止められた。もういかせてあげようって。

悔いはいっぱいある。もっと早く気がついて病院につれていけば、とかもっと早く入院させてれば、とか。でも、ポマはそんなに苦しんだりしないで眠るように去っていった。箱にはいっているけど、今も眠っているようにしか見えない。ポマーって呼んだら、めんどうくさそうに耳だけぴくって動かす返事をしそうに思える。ポマは赤が似合うから、あとで何か赤い花を買ってきていれてあげようと思っている。形見がほしくて、でも猫だから何も持っていないからひげを2本と毛を少し切らせてもらった。